品田さんの記事 ※NumberWebで採用にならなかった前文

下記がその記事です。
各方面の方々が許可をいただいてくれたようです!

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その人との出会いは、私が早稲田大学野球部の1年生の時。品田さんは、1年先輩の2年生だった。
当時の大学野球部といえば、「士農工商」以上の厳しい身分制度のようなものがあり、命令と服従で組織が成り立つ恐怖政治のごとき状況があった。
つまり、1年生、2年生のいわゆる「下級生」はさまざまな圧に脅えながら、小さくなって日々を過ごしていたものだが、そんな中で、品田さんだけは2年生なのに、どこか泰然自若として、すごく大人びて見えた。あとから聞いたのだが、品田さんは一浪されていて、年齢的には「3年生」だった。
ある日、グラウンドで、1、2年生が上級生から「歌え!」と命じられたことがあった。
まず2年生が順番に愛唱歌を披露し、品田さんの番になった。
スッと立ち上がった品田さんが、
「失礼します!カンツォーネを歌わせていただきます!」
と言い放ったから、みんなで驚いた。
カンツォーネなのだから、今考えれば、イタリア語だったのだろうが、『オー・ソレ・ミヨ』を堂々と、朗々と独唱し、鬼より怖い4年生たちをもシーンとさせて、最後に「オー、ソーレ、ミーヨ♪」と歌い上げた時は、満座の大喝采を浴びたものだ。
ジャガイモのような(失礼!)坊主頭に泥だらけのユニフォームで、渾身のカンツォーネ熱唱。この人は、ちょっと違う…私がそう思うようになったのも、この頃からだ。数少ない尊敬できる先輩だった。
通っていた第一文学部が同じで、それもあって、卒業までなにくれとなくお世話になった。早稲田で名のある札幌ラーメン屋さんで、よく大盛りをごちそうになったし、「ハタハタ」という魚を初めて口にしたのも、品田さんが連れて行ってくれた池袋の民謡酒場だった。たまに学食で顔を合わせることもあったが、そういう時の品田さんは、なぜかいつも、食券売りのオバちゃんに叱られていた。
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